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author 米 [write]

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焦がれる指は嘆く


(元ピアニストの主人公(年上)と憧れる花村(年下))

「俺、あなたの弾いたピアノに凄く感動したんですっ!あの、何て言うか…っその、普段はポップスとかしか聞かなくてクラシックはあんまり興味なかったんですけど、でもあなたの演奏を聴いた時…!上手く説明出来ないけど今まで俺が持ってたイメージを覆された感じで……」

そう、えらく熱を込めて語る茶髪の少年に、俺の身体を巡る血液はその温かさをスッと冷やして頭の先から爪先までを鋭く神経を尖らせ、親の血筋で銀掛かった灰色の双眸を眇めた。そして思うのはただでさえ雑踏に揉まれ気分が優れないにも拘らずとどめのように落ちて来た底冷えするような鉛の塊。それは俺の胸中にゆっくりと落とされ息苦しさすら感じさせた。

(彼も、か)





「少し前まではソロコンサートとか開いたりCD出してましたよね?あの、今はどうし…」

「…悪いけど、もうピアノは弾いてないんだ」

「え?」

「二年前、飽きて辞めたんだ」

今までマシンガントークもいいとこな勢いで一人喋っていた彼は俺が口を開けば嬉しそうに喜色ばんだ顔を見せてすぐに鳩が豆鉄砲を食らったようにぽかんとなった。俺はそれすら返って来る反応として既に予想済みでいたからそんな彼に対して「期待に添えなくてごめんね」と薄っぺらい笑みを浮かべて続け、この顔を見せればこれまでどんな人間でもすぐに引き下がるかして口を閉口させるからきっと彼に対しても有効だと思ってみるみる驚きの色を宿し見開かれて行く彼の瞳と表情を見つめたまま、このまま早く何処かに消えてくれやしないだろうかと頭の片隅で願った。

(そう。俺はこうやって俺のことを知った風にして時折話し掛けて来る人間が大嫌いで、だからわざとあからさまに真実を自分から教えて、こんな顔が見たいと考えて。…でも見たくなくて。何も知らないくせに関わって欲しくなんかない)

じくり、と左胸の奥が軋んで、そこから既に痛覚が薄く引いて反応が鈍い左手の人差し指が引き攣るようにして痛んだ気すらして唇を密かに噛む。
こんな、壊れた指さえ。否、中途半端に再生治療がされて生活に支障のないくらいに治された手なんてなければ俺は。俺は今だってきっと、あの透けるように白く美しい白鍵と艶の掛かった黒鍵の鍵盤の上に指をなぞり滑らせて、彼女(或いは彼)の吐息のように甘い音色を奏でていたのに。それを折角忘れようと必死になって生きている俺に、何でこんな子供に捕まえられてしまったんだろう。
じくじくと針のように鋭い苛立ちの波が押し寄せて来て、俺は此処何年か無理矢理抑え込んできた激情が内側で一気に膨れ上がるのを感じて頭がくらりと揺さ振られた気がした。 

(…煩わしい)

こうやって、俺が以前触れていた鍵盤と指が奏でる音に心惹かれたのだと言う人間は勤める『店』の客中にも何人かいた。「良ければまた弾いて聞かせてくれないか」「あの頃の君はとても輝いていたから懐かしく感じる」「どうして今は辞めてしまったんだい」…そんな、馬鹿みたいに懐古に耽りながら俺の手を取り寄り添って来る人間。その時にも俺は彼に向けたように作った笑顔とさらりとした答えを返して丁重に帰宅を促し、名残惜しそうに去って行くその背を見送りながら俺がこの世に生を受けたその日からずっと一緒に在ったピアノをどんな思いで諦めどんな思いで遠くに離れたか、分からないくせに。知らないくせに。本当は、今だってあの音色に自ら触れたいと願って止まないのに。ピアノを弾くには思うように動かないこの左手が、指が、憎くて堪らないのに。
俺の目の前からは、そんな客とは異なってまだ立ち去ろうとしない少年。いよいよ怒鳴りつけたくなる衝動が抑えられぬと首を擡げようとしたその時。震え、戦慄くようなか細い声が閉口したかに見えていた口から零れ落ちた。

「や、めた…って、ピアノを…?」

「だからそう言ってる」

俺の音が好きだと言うのに君は耳が悪いのか。理性を忘れそう言い掛けた喉を止めたことを我ながら褒めてやりたい。でもやはり低く唸るような響きは滲み出てしまって、まるで彼自身が痛ましげに顔を顰めて街の往来にも拘らず声を張り上げてきた。

「…っ嘘だ。アンタはあの時すごく楽しそうだったじゃないか!アンタはピアノを弾いてる時はずっと綺麗な笑顔を浮かべていて、心底ピアノを弾くことを好きだって口に出さなくてもそう言ってるみたいにして…!二年前、俺がアンタを始めて見たのも最後に見たのも『あの時』の来演が一回きりだったけど!でも、あの日以来コンサートもコンクールも出ないで曲すら弾かないままいなくなって…っアンタみたいに音楽が演奏が好きな人なら何か訳があるんだろ?!それくらい、俺にだって分かる!」



「飽きたなんて、嘘なんだろ?!」

「…っ」



何で、そんな風に言うんだ。いつだって勝手な羨望や憧憬や希望を俺に押しつけてばかりでいたじゃないか。故障した手と指じゃ思うように弾きたくても弾けない、だから飽いたなんて嘘を最初に口にしてしまった俺と、それを勘繰らずに鵜呑みにした観客の一人。それから俺はその嘘を突き通して、中途半端な左手をぶら下げて生きて、時折出会う嘗ての観客にもそれを繕って、笑顔を見せればそのまま引き下がってしまうから抜け出せなくなってしまった。(違う、本当に馬鹿なのは、俺だ)
こんな風に、今まで誰も深く尋ね俺の嘘を見破る人間なんていなかったから。今更素直に真実を吐露するなんて、これまでの勇気じゃ無理で。

(そうだ。本当は俺だって、今も)





触れたいんだ。

あの頃みたく、人を騙すことなんてせず。ただ自分の思う通りの演奏を、思うがままのアレンジで奏でて。事故に遭う前の自由だった左手が本当は今も恋しくて堪らない。故障してもリハビリ次第で前の演奏に近づける奏者もいた話は何度も聞いたし両親にも医者にも勧められた。けど俺はあの時の演奏がしたくて、寸分違わぬ演奏に固執して、完全に元通りにならないならと諦めの気持ちを潜ませて治りを遅らせた。こんな指じゃ誰かを喜ばすことなんて出来ないと思い込んで、それまでの充足感を欠けたように決め付けて。

でも本当は、今の俺は、少しくらいぎこちなくてもあの白黒の鍵盤に触れて音を出したかったんだ。
それをまさかこんな初対面の子供に気付かされるなんて思わなくて。

「…俺、花村陽介って言います。東雲葵さん、あなたの演奏がもう一度聴きたいです」

弾いてくれませんか。
聴衆の目も気にせずに真っ直ぐと見つめる鷲色の目。伸ばされる手。年柄に反し大きく力強そうなそれは、俺が嘗て求めた理想に似ていた。



(なんて、泣きたくなる言葉。俺は気が付けば陽介と名乗る少年の手を取って長らく遠ざけていたピアノに触れるのを決めた)
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2008.11.28(Fri)





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