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author 米 [write]

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ご主人様と私


(一主主従パロ)

朝靄の立つ夜が明けたばかりの時間帯に目を覚ますのはもう慣れた事だった。寝間着として身を纏う浴衣を脱いで代わりに仕事着でもある落ち着いた雰囲気を醸す鶯色の色無地を袖に通し合わせをしっかり整えてから濃紺の帯を締める。そして薄い光を透かす障子紙の貼られた引き戸をすっと開くと冷えた空気が部屋にするりと入り込み頭が冴える。
別に女子供でもないのだしあまり見た目を気にするような思いはないのだが、それでも一応部屋の隅に置かれた鏡台の前に膝を折るとそこに対するように映る己と向き合い寝癖を直すように用意された櫛で軽く梳き直し整える。時頃は五時よりも少し早いほどで一般的に見ればそれはなかなかに早い時間帯だがテレビの中ではそれでもニュースを読み上げる女性の快活な声が響いていて、所用を済ませて行く内にそれも丁度良い頃合になっているだろう。
葵はまず冷えた空気を靡かせる外に出て竹箒を取ると玄関から暫く歩いたその先にある門前を木の葉を一つ残すこともなく掃き、それを終えると丁度牛乳と新聞の配達業者がやって来てお早う御座いますとやり取りを交わす。今日も早いんですね、いえこれが仕事ですからそれよりお互い様ですよ。お疲れ様です、なんて少しの間朗らかな会話に浸り相手がいけない!と次の配達に向かうのを見送るのもいつものこと。小さく笑いながら慌ててそれぞれ自転車とスクーターを駆って行く音を聞くと代わりに今度は受け取った朝刊と新鮮な白乳色の中身が入った瓶を用意していたカゴの中に入れて屋内に戻り、自分とは別に廊下を磨いたりはたきを掛けている最中だった使用人にまたも挨拶を済ませ居間の場所に新聞を置き、台所に向かう。そこでするのは日課となった流しと机の拭き掃除を着物を汚さないように掛けてあった白い割烹着に身を包んで後ろを結ぶと始めるのと、そして漸くそこが清潔になったところで、家から一任されている食事の支度を開始する。

「今日は焼き魚とお浸しと卵焼きに…あとあさりの味噌汁が良いかな」

格式高い一条の家に葵が使用人として住むようになったのはいつからだったか。元々、葵の両親は仕事を生き甲斐とした人物で親としての監督責任はまるでないような完全な放任主義の人達だった。今年で数えて17になる年の葵は昔、そんな両親の元でも幼いながらしっかりとしていて炊事洗濯掃除や節約術から家計簿の細かなつけ方に至るまで何でもこなして育ち、性格も淡泊ではあるが幸い特に歪んだ様子もなく真っ直ぐに成長して成績も優秀。親の顔すらまともに覚えていないがそれは別に愛情が欲しくない訳でなく、ただ常に傍にいたのは少しの間家のことを任されていた家政婦くらいのものでそれを辞めさせた後は完全に一人になったから。幼くして覚えさせられた寂しさに何処か感覚が冷めていたのかもしれないが、それもある時中学に上がったばかりの頃に突然黒服の男二人に下校途中無理矢理車に乗せられた事により全てが…と言う訳ではないのだが生活が一変するようになった。
連れられた先は何故か両親が経営する会社の一つで、昔一度来た事はあったが以来足を運ぶことはなかった関係の薄い場所。両親の用ですか、と年の割に落ち着いた声で問えば男は瞑目し此方を見たが結局その時は何も答えが返らずそのまま通されたのはやはり父のいるオフィスで、書類に目を通していた父は顔を上げると笑顔を見せて葵、と名を呼んだ。後から母も受け持つオフィスから珍しく息を切って来て同じように名前を呼ばれると葵は思わず覚えてたの、と冷めきった風に漏らしていた。それを対する二人は困ったような苦い笑みで濁すと久々の対面だと言うにも関わらずそれらしい雰囲気の出ない空気に肩を重くし、用がないなら帰ろうとした背中に掛かったのは一つの話。呼び出しも突然ならその内容ですら非常に急なものだった。

「…出来た」

思い起こせばあの時から葵はこの家の厄介となっている身だったのだ。綺麗に黄色く焼けたダシ入りの卵焼きを粗熱を取りつつ均一に切ると皿に盛り付け、思い起こす記憶の波間で少しだけ感慨深くなる。とは言え屋敷の人々はみんなとても優しくて明るくて、此処に来て良かったと心から思えるのにはそう時間も要さず毎日が葵にとっては充実し楽しかった。それを面に出すのは養われてしまった性格ゆえにやや困難だけれど、それでもこの家の主人である人やその家族、使用人に至るまで葵をことあるごとに良くしてくれてその心情も難なく汲み取ってくれるのだからこれで居心地が良くないとなれば余程の贅沢者か我儘かだ。葵は今まで都会に住んでいたが、今では田舎町とも言える稲羽市にやって来て毎日を一条家の世話をする使用人の一人として働いている。
実は葵が都会にいた頃、たまたま駅の入口辺りで迷っていた初老の婦人を手助けし、一度しか訪れた事のなかったと言う両親の会社まで用があるからと送ったことがあるのだが、久々に対面した二人から聞かされたのがその婦人が仕事でも縁の深い一条の奥方であり当初名乗りはしなかったのだが後から自分を助けたのが取引相手でもあった東雲の一人息子である葵であった事を知り、丁度自分の孫に当たる子供と同い年である事や幼くして落ち着いた姿勢や言葉遣いの礼儀正しさに感銘を受けたその人が良ければ自分の孫の友人となってはもらえないかどうか尋ねて来たのだ。それは一向に構わない、とろくに自分の息子とも顔を合わさない父は言ったそうだがその婦人と孫が住むのは都会から離れた地方都市であり、だったら子供をそこにやるからと葵の両親は二つ返事で答えてしまったのだ。事実を知った葵はそれこそ放任主義にも程があるとか、子供に何も言わないでだとか言いたくもなったが反面では既に強制的に進められていた事だけに最早何も言う事が出来ず、中学に上がったばかりの四月…その一ヶ月後には転校する羽目になった。
そして幸いと言って良いのか分からないが、その当時通っていたのは受験を要する私立の中学だったので顔見知りは比較的少なく変な噂話が立つ前に去る事が出来て良かった。中学と言えど勉学重視の私立は常に成績の上がり下がりを気にして登校から下校までの間まるで気が抜けず、正直疲れもあった。此方に来てすぐ新しい学校に入れられたがそちらには公立が多く私立にもなると駅を使わねば辿り着けないようになっていて幾分生活が楽になったりもして、自分を引き取った形になったあの婦人とその夫である旦那はすまなそうに最初頭を下げたがその代わりに実家のように思ってくれて構わないと言って、葵のことを我が子のように可愛がってくれた。だが葵は親の言いなりとなってしまったものの自分は此処に目的があって来たのだからとその手厚い待遇を遠慮し、友人として対面をする老夫婦の孫とやらの世話をやがて任されるようになり、使用人の一人として扱われるのを自ら望んだ。

「これならいつも通り喜んでもらえる…かな」

それ以来、葵は一条の使用人でありながら一条の一人息子である康の友人となった。紫掛かったような艶のある黒髪に気さくな笑顔を浮かべた自分の主人にこれから見せてもらえるだろう表情を思い馳せつつ、合わせて作った弁当も萌葱色の綺麗な染めが入った包みに入れて結びを作ると用意のされた朝食をそれぞれ他の使用人にも運ぶのを手伝ってもらい、自分は割烹着姿のまま慣れた通路を歩いてその人の部屋に向かうことに。

直に辿り着いた離れの一室。開け放たれていない障子の戸を見る限りやはりと言うべきか未だ起きていないらしい彼に一応形だけの口上を述べ断りを入れてから膝を突いた格好で静かにそこを開く。するすると滑り良く開かれた和室の奥では敷かれた布団に肌寒そうに丸まって眠る彼…康を見つけるといつもの事だけれどつい苦笑が浮かぶ。けれど今までなら忘れたままでいた自分の笑みを思い出させてくれた康にこれから起きてもらわなければ、折角の朝食が冷めてしまうのだ。腰を軽く浮かせて入った和室の畳みが青い草の香を匂わせるのを感じてそっと盛り上がった布団に手を添える。それも、いつものこと。

「康様、起きて下さい」



密やかに、密やかに。囁きながらも柔らかい声音にいつしか芽生えた気持ちには、葵の素知らぬ場所で恋の種が新しくつけられていたのはまだ誰も知らない。
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2008.11.26(Wed)





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