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author 米 [write]

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知解に果てしなく 三


『知解に果てしなく』続編

アイロンのプレスが綺麗に掛かった品の良いダークブラウンのスーツに身を包んだ御堂はネクタイの歪みを整える手を離し荷物を代わりに取ると玄関先に置かれた靴に足を入れて履き、振り向き様に目の前に立つ克哉の柔らかい質感の髪を撫でた。

「では、昼にまた一度戻って来るからそれまで大人しくしているんだぞ」

勝手に外へ出ない事。
誰かが尋ねて来てもフロントが用件を聞いてくれるから絶対にドアを開けない事。
もし何かあった時には御堂の携帯に教えた通りワンコール入れる事。

これら三つは、昼間はMGNと言う会社で部長の管理職に就かねばならない御堂が部屋を開ける間、必然的に一人にせねばならない克哉に教え込んだ最低限の事だった。仕事とは言え言葉を知らない無垢な状態の克哉を一人にするのは不安で、かと言ってオフィスに連れて行く訳にも行かず、御堂は仕方なく昼の休み時間を毎回車を飛ばして自宅のマンションへと戻り食事をするようになった。そもそも克哉には自分でミルクを入れて飲む事が出来ないのだ。愛情を受けて生きるドールは入浴や着替えなどの事は出来るが食事など与えられる物全ては主人から受けないと、それがどれだけ栄養価の高い特別製ミルクでも育たない。だから御堂は克哉と僅かでも共に過ごしたい気持ちがあるのを理由に付けて、一時帰宅する自分を出迎える笑顔見たさに車を走らせるようになり昼休みが終わるぎりぎりまでその身体を抱き締めたりキスをしたり、傍から見れば人形相手に何をやっているのかと過去の自分なら言うだろうがスキンシップをはかるようになった。

だがドールながら聡明な克哉は御堂の言葉をきちんと理解しているらしく、出勤の度に数回は繰り返されるそれらの言いつけに一々首を縦に振り頷いて見せ、頭を撫でる大きな手に擽ったそうに身を竦めて整った白い顔にふわりとした笑みを浮かべる。そして今日も御堂が仕事に向かう為に玄関のドアに手を掛け開いた瞬間、何を思ってか今までならただ見送るだけだった克哉の腕が伸び、くん‥っと静かに御堂の袖を引いた。

「…克哉?」

克哉がこうして自ら触れて来るのは極めて珍しい事だった。身の回りの事は全て御堂がするばかりで歩いたり眠ったり入浴したり着替えたりと言う事は自分でしたけれど触れる切っ掛けはいつも御堂にされるばかりで享受していたから、珍しく引き止めるように袖を引かれた事に驚き目を見張った。が、克哉の色が差しふっくらとした唇が薄く開き掛けたのを見て押し迫る時間など関係なくじっとアクションを待つ。ゆっくり、ゆっくり、普段は息を小さく吐き出すばかりの唇が御堂を見上げながら弧を描いて瞳を眇る。

「いって、らっしゃい。」

「っ、克、哉…?」

「いってらっしゃい」

聞き違えではないだろうか。御堂は自分達以外誰もいない空間に響いた言葉に応えを求めるあまり自分が都合良く作った幻聴ではないかと我が耳を疑ってみせた。だが幻聴ではなく事実なのだと改めて示したのは克哉の白い親指と人差し指がきゅっと摘んだままの袖が弱く引かれた事と、同時に繰り返された甘い響きが再び鼓膜を震わせたから。
この際、言葉を紡ぐのならどうせであれば自分の名前が良かったなどの贅沢は言わない。言葉を紡げたと言う事は克哉が喋る事が出来ると言う事。そして自分の名前を呼べると言う事。出勤前のとんだサプライズに目を瞬かせるのすら忘れ片手に持った荷物を落として咄嗟に抱き締める。すると丁度肩口の辺りに埋まる頭がすりすりと甘えるように擦りついて心なし御堂が好むワインの香りがした気がした。

嗚呼なんて愛しいのか。
いとしい、いとしい。この存在が堪らなくいとおしくて。ただ単にいってらっしゃいと言われただけでこんなにも、炎天下の下で地面に罅が入るほど枯渇したような心臓が心地良く満たされるだなんて思わなかった。(知らなかった)
克哉の蜂蜜色の柔らかい髪を撫でてその額にキスを落とす。今までただ静かに控え目に、花蕾がそっと綻ぶような笑みだけだった表情が言葉を覚えた事でくすくすと喉を軽やかに鳴らした。それが更に御堂の心を心地良く掻き乱す。掴まれたままの袖に絡まる指に手を這わせ重ねると紐を解くような繊細な手つきで離させそこにも口付けた。
覚えたての言葉を子供が繰り返すようにいってらっしゃいを何度も反芻して喋る克哉に促され、前よりももっと膨れ上がった名残惜しさを泣く泣く振り払い御堂は落ちた荷物を取って笑った。

「いってらっしゃい」

「あぁ。克哉、行って来る」

だから待っていてくれ。
今日は普段よりも早く定時には帰って来るから。そしたら二人で食事をして、入浴をして、言葉のレッスンをしてから一緒に抱き締め合って眠ろう。それならば明日には自分を呼んでくれるだろうか。呼んでくれたなら、良いのに。
たった一言の言葉が出ただけで御堂の中には幾つもの欲が溢れて来る。けれどそれは不快ではなくて御堂は漸くマンションの部屋を出た。ドアが締まる背後で克哉が手を振る気配がする。御堂はらしくないと自分で思いつつも穏やかな笑みを浮かべたまま出て行くと、MGNへと出社して行った。



マンションのエントランスを抜けた御堂が乗る外車が駐車場を後にした頃、一つの影が物陰から現れこつりと靴音を固く鳴らした。
まるで御堂がマンションから立ち去るのを窺っていたかのようなその影の人物は、細身ながら長身をダークグレーのスーツに包み首元を赤いネクタイで締め、少しくすんではいるが何処か見覚えのある色素の薄い髪を風に靡かせている。そして冷たい印象を覚えさせる銀色の眼鏡越しに青い双眸を聳え立つマンションを見上げるように向け薄く笑った。

「…此処か、アイツがいるのは」


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2008.07.18(Fri)





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