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author 米 [write]

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水に馴染む手


(モブ(しゃっきりしたおじさん)×主)

ゆらゆらと赤い尾ひれをまるでドレスの裾のように揺らして泳ぐ魚は、何故か川でよく釣れた。金魚の一種だろうか、そもそも元いた都会でもそう魚に触れる機会と言うものは例え生き物が好きでも少ない方であったから詳しいことは知らないが、今度図鑑でも開いて調べてみようかと本日の釣りの成績をたぷたぷと振動に震えるバケツの中身を見下ろして考える。
一般的に紅魚と呼ばれ親しまれているらしい魚は今、バケツに蓄えた水中をすいすい、くるくるとワルツでも踊るように2匹一緒に泳いでいる。生憎と食事に使えそうなマスや鮎は連れなかったが、代わりに釣れたこの小さな魚は観賞用でならば十分目の保養に近いものが得られそうである。

(菜々子が喜びそうだな)

そこでふと、思い浮かんだのが従姉妹に当たる小さな少女の姿。今時貴重だと思えるくらいとても純粋で清い笑顔を見せる少女は世話となっている叔父の実娘であり、最初に出会った頃は距離を置かれたりもしたが今ではすっかり自分に懐いてくれている。人見知りのする子だが、本当に可愛く、そしてとてもいい子なのだ。あの子ならきっと犬猫にするのと同じようにきらきらと大きな瞳を輝かせて喜んでくれるだろう。

実を言えば本当は5回竿を振った回数中5回ともこの紅魚だったのだが、流石に5匹もの魚を、それも同じものを持って帰る訳にも行かない…と言う訳で2匹までに減らされた。1匹でなかったのは個人的に魚が寂しい気がすると思ったから。あと、あの子も同じように寂しいと言うのではないかと思ったからだ。
…葵もあの子も互いにあまり口には出さないけれど同様の寂しさを抱えている。葵自身に至ってはそれはもう仕方ないほどに慣れたものだが、やはりまだ年端も行かないあの小さな少女にはその思いを慣れさせてしまうには心が苦しくなった。きっと飼うまで永く保たないかもしれないが、一日くらいはバケツに入れてもその次の日に放してやれば構わないだろう。
今は、最近の連続事件を追って帰りが遅い父に寂しさを覚える子供を喜ばせてあげたかった。

「おや、君は」

「こんにちは」

そんなことを考えている折、丁度川辺から土手に上がる階段を上ったところで声を掛けられた。思わず足を止めればそこには晴れの日に鮫川の近くを通り掛かると姿を見ることの多い男性がいた。
お互い、いつからか顔を合わせれば自然と話をする間柄となっていて、今回も相手の方が先に此方を見つけて声を掛けて来たようだ。

そもそも相手の名前をよく知りもしないで親しげに会話するなど世の中のことを考えればどれだけ無用心かと思うものの、葵は自分にとって彼が危害を加えてくるとは思えない人物で物腰は柔らかくとても落ち着いた印象を覚えたからだ。
稀に街の人と交わす会話の中で頼まれごとをされたりして、それを叶えられる範囲でなら叶えて来た葵はこの彼にもどうように変わったランプを渡したことがある。散歩が好きだと言う彼は夜にもこうして鮫川の付近を歩いていると言うことで、同じくぼんやりと外を出歩いたりするのがここに好きになった自分をいつだか冗談交じりに誘って来たがそれに頷けば僅かに驚いたような顔をしてから柔らかく笑われたのもまだ記憶に新しい。何しろ今時の子が自分のようなオジサンと和やかに話すなど珍しい、ともさえ言われたこともあるのだ。

少なくとも葵は彼をオジサンと言ったように見たことはないが、それはもしかすれば彼の外見もそうだが何より纏う雰囲気のようなものが彼のことをとてもが若作りと見せていたのかも知れない。
落ち着いた雰囲気に見合った冷静で柔らかい声、何にも惑わされずきちんとした考えを持った彼はよく笑いよく話すがそれは決して不快や面倒でもなく、ゆったりとした口調で話すからこそ聞き手に回る此方も自然と穏やかにいられる…そんな思いを与えてきて、心地が良かったから。

そして今日もまた変わらぬ耳障りの良い円やかな低い声に向き直ると彼は相変わらず穏やかな笑みを湛えながら葵を見つめ、先日の礼をまずは口にした。

「こんにちは。この前はどうもありがとう…あれから夜出掛ける度にあのランプを使わせてもらっているよ」

「そうですか。良かったです」

「で、君は今日は釣りかい?」

さり気なく擦り替えられた話題にちら、と彼の視線が葵の手に持たれた青いバケツに向けられる。そこから更にすいと葵本人に向けられ、葵は特に嘘を吐く必要もない為にこくりと頷きその中に泳ぐ紅魚2匹を見下ろした。

ひらりひらり、ゆらりゆらり。
飽くことなく水中を踊り泳ぐ魚の尾ひれ。うねるように滑らかな動作で丸みのある体型を一回転させて泳ぐそれはまるで人生の謳歌をしているようにも見える。そんなことは勝手な考えであり魚に意思があるかは分からないが、葵は顔を再び上げると彼が腕を組みながら口を開いたのを見た。

「知っているかな。魚は人が直接手に触れると火傷をするそうだよ」

脈絡のない話の切り出しに少し戸惑いはした…が、彼の心地の良い声にそのまま聞いたことならあるともう一度頷く。すると年齢ゆえか皺が少し寄った目元を彼は眇めることで更に彫りを深くして、そうかいと短く相槌を打って答えた。
たぷん、と魚が軽く跳ねたことにより揺らいだ水面が小さく飛沫を飛ばし、葵の片手を濡らす。それを見つめて一つ瞬くと彼は再び微笑んだ。

「魚は爬虫類や両生類の冷血動物に近くてね、外側の温度環境によって体温を変える変温動物らしい。だから冷たい水に泳ぐ魚は水温が上がれば水温の低い方へ向かう…もしいきなり人の手が触れたらその熱に対応出来ずに低温火傷を負ってしまう、と言う訳さ」

彼は、葵がその話題について理解していると分かっている上で話しているようだった。一般的な人間だったならこの手の話にはなかなか食いつきにくいだろうし、彼はそうでなくとも葵の目をまっすぐに見つめ、更に僅かに濡れた手を自らの手を伸ばして触れるとさらりと優しく撫で上げた。思わずひくりと身体を小さく震わせたが、いつもの控えめで遠慮がちな彼にはあまり見ない行動であったから単に驚いただけだ。葵は灰色の双眸を見張ると雫の付着した皮膚を彼の指の腹が擦って拭ったのを知った。

「だからもし触れるなら相手の魚と少しでも体温が近いようにと手を濡らす。すると魚も永く生きるし、元気に泳ぐ。…郷に入っては郷に従え、みたいなものなのかな」

まぁ私も釣り好きのおじいさんから聞いた受け売りなんだけれどね、と彼は笑う。そして葵の手を取り、そのバケツの中を泳ぐ紅色の魚を一瞬だけ捉えた後やはりもう一度だけ日に焼けない白い素肌をなぞり手を離すと何処か嬉しそうに今度は葵の頬に触れる。比較的体温の低く熱の上がりにくい葵は、彼の触れる手がしっとりと微かに潤いを帯びて冷えていることに気がついた。それが意味することなど、理解は及ばなかったが。
ただ、生温い風が髪を撫でた。

「私は君を一目見て、触れたいと思っていた。けれど容易く触れて良いものと思えなくて、触れてしまえば君が消える気がした。だからそっと近付いて水に馴染んだ。君はまるで捕らえどころのない魚のようだから、粗く触れればどうにかなると思っていたんだ」

けれど今の君は私に警戒すら抱かない。水温に馴染んだ手に慣れた魚のようだ。けれどそれが堪らなく嬉しい。
流暢に澱みなく語る彼は、少し熱に浮かされたように見えた。咄嗟の事態に反応が出来なかっただけなのか、或いはこの手に最初から逃れる気などなかったのか、葵は頬に触れた彼の冷えた手のひらに冷えた頬をまるで同化したように感じながら一つ瞬くと淡く唇の端を上げて言う。

「生憎、俺はそんなに弱い生き物じゃないですから勝手に消えたりはしませんよ」

「分かっているよ。触れて見てよくよく分かったからね」

「それじゃあ、さようなら」

「さようなら。もう行くのかい」

「家に家族が待ってるんで」

「そうかい。じゃあまた」

「えぇ、また今度」



触れた手が離れれば、まるで寄り添うように踊っていた魚は身を離して泳ぎ出した。
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2008.11.28(Fri)





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